もぐもぐキッチン(仮)

個性を出したい!目立ちたくない!

ブログには信ぴょう性は求められるべきなのか

ぼくは文系の大学生です。

このブログ、ろくな自己紹介をしていないので、どこかでした方がいいかもしれないですね。

文系大学生といいますと「文系大学生の間は人生の夏休み」と言われるよう、に遊んでばかりだと思われる気がします。

確かに理系の方々よりは勉強量が劣るかも知れません。

そもそも理系のお友達があまりいないんですね。

ただ、自分で言うのもなんですが、ぼくはそんなに遊んでばかりというわけでもなく、結構勉強しております。

 

そんな文系大学生がどんな勉強をしているか、というとなんらかの事象を研究対象とし、論文を書くという、極ありきたりな勉強です。

具体的にどのようなものを研究しているのか、ということについては話すと長くなるので気が向いたら書いてみようかと思います。

 

文系大学生であれば専門分野ではないこともレポートという形で何かしら書かなければならない、ということがあります。

大抵は講義を受けてレポートを書く、ということになるかと思います。

そんなレポートを書く際に求められるのが「参考文献を明示する」ということですね。

引用を行うのであればきちんとした形で引用し、参照を行うにしてもきちんと参照したことを明示しなければならない、というのが多くのレポートです。

もしきちんと引用や参照を示さなければ剽窃ということになりかねません。

単位を取得することが楽だ楽だと言われている文系大学生が唯一気を付けなければならないことかもしれませんね。

 

そんな中、こう言っては何ですが、参考文献を明示するということはなかなかに面倒です。

きちんと意識してやれば問題ないとも言えるのですが、常識だと思うことをきちんと論拠を持たせて説明したりすることは面倒と言えば面倒です。

体感としてはぼんやり文章を書くのに比べ2倍3倍の時間がかかってしまうように思います。

ぼんやり文章を書く、というので思い浮かぶのは「ブログ」ですね。

 

どうなのかな、という気もしますがこのブログではかなり適当なことを書いています。

単純に自分が思ったことであったり、気になることを特にきちんとした論拠も持たせずつらつらと書いています。

このようなことはある意味では問題であるような気がしますが、インターネット上の文章の多くがそうした形態をとってしまっている、という感じがします。

自分でインターネットに文章を書くようになって強く感じました。

 

今多くの人がインターネットで情報収集を行っています。

小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまでインターネットに困ったことや知りたいことがあれば向かっていき、情報を得ようとしている世の中になっているのではないでしょうか。

ぼくは小学校や中学校で「インターネットの情報ばかりを信じるな」と教育を受けてきたように思います。

ですが周囲の同世代の人間を見ていると、インターネットの情報を疑いもせず受け取り活用している人がとても多いと感じています。

 

そもそもこの世の情報に絶対正しいなんていうものはありません。

権威ある新聞社が書く記事だって必ず正しいということはあり得ませんし、テレビで目にする情報も疑ってかかるのが理想でしょう。

東日本大震災に伴う原発事故であったり、もっと過去に目を向ければ戦中の不確実な情報などがよい教訓になっているんでしょう。

 

しかし情報を疑う、ということは大変難しいです。

自分でそう思いますし、周りを見ていてもそう思います。

そのような中でインターネットが発達し、信じられないほどの情報を手に入れることが現代では容易にできます。

 

そこで思ったのが「ブログはどこまで情報に信ぴょう性を持たせて書かれるべきなのか」ということです。

ブログというものには人々の生活に非常に身近な記事が多い、という気がします。

「役立つ情報」みたいなものを沢山載せているブログも多くありますね。

この役立つ情報というものは、確実性が高い方がよいに決まっています。

しかしながらこの確実性、というものを実証することは非常に困難な気がします。

そりゃ信ぴょう性が高い記事を書く方がいいのですが、現実問題難しい。

困った困った。

そんなことを思いながらこれから先もブログを書いていってしまうような気がします。

 

相変わらずよくわからない見解を述べただけの記事になってしまいました。

とりあえず今後は少しでも信ぴょう性が高いような記事が書けるようになりたいですね。

高い目標です。

映画館で映画を観る

ここ最近よく映画館で映画を見ています。

と、言いましても1か月に3回行っただけなんですけれど。

本当に映画が好きな方からすると、この程度でよく映画館に行っているなんてまず言えないと思いますが、ぼくのなかでは多い方です。

大学生になるまで映画館に行った経験は片手で数えられるほどでしたし、大学生になってからも片手で数えられるほどしか映画館に行った記憶がありません。

つまり映画館に行ったことがあるのは両手で数えられるくらいの回数だったということですね。

 

そんなぼくですが、映画が嫌いというわけではありません。

むしろ好きです。

映画オタクで月数十本映画を観る!なんてことはありませんが、好きな映画もそこそこありますし、たまに映画みたいなと思うこともあります。

ちなみに好きな映画はスターウォーズターミネーターです。

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 小汚いR2‐D2が好きです。

 

そんなぼくが今までどうやって映画を観てきたかと言いますと、レンタルビデオショップで借りて観ていました。

ツタヤとかゲオとかを使っていたということですね。

もうビデオを貸し出している店なんて聞いたことがありませんが、いまだにレンタルビデオショップって言っていいんですかね。

月に数回お店に行って借りていました。

 

なぜ映画館で映画を観ず、ビデオ、というかDVDを借りて映画を観ていたのでしょうか。

当たり前の理由しかいうことができませんが、安いということ、映画を公開されてすぐに観たいと思うことがなかったということ、この二つの理由が主な理由だと思います。

つまり、映画館で映画を観るメリットがなかなか見いだせていなかったため、映画館に行くことがあまりなかった、ということが考えられます。

そんなぼくが月に三回も映画館に足を運んでしまったのはなぜなのでしょうか。

 

 

なんとなーくですが二つ理由がぱっと思いつきました。

一つは見たいと思う映画が公開されたから、という理由です。

この一か月で観た三本の映画は「シン・ゴジラ」「君の名は。」「シン・ゴジラ」です。

シン・ゴジラは二回観たくなったので二回観ました。

とっても面白い映画なので、まだ観ていない人は見たらいいと思います。

観たい!と思う映画がたまたま公開されたため、映画館に足を運んだということがぼくの中では大きかったかな、と感じます。

なぜ上記二つの映画を「観たい!」と思ったか、というのは明言できませんが、面白そうだと思っていた映画がSNSで賞賛されているのを目にし、観たいという気持ちが強まったのかと思っています。

今の時代SNSというものは影響力が大変強いと感じる次第です。

 

もう一つは映画館という場がなかなか優れた娯楽の場である、ということに気付けたからというものです。

ぼくの家は小さいので、家で映画を観ているとどうしても他のものが気になってしまう環境です。

たとえばテレビの横にあるゴミ箱とか、座っている場所が落ち着かない感じだったりだとか、いろいろですね。

もっとお金をかければよいのかもしれませんが、そんなお金は残念ながらありません。

 

そんななか、映画館に行けば映画しかない、映画だけのために考えられた環境に行くことができます。

映画だけに集中することができる映画、というものは家で見る映画以上に様々な部分が見え、聞こえより娯楽として優れたものになっているのかもしれない、と感じました、

映画、というものを真に楽しめるのは映画館という環境でこそなのかもしれません。

 

ついでに映画館に誰かと行く、ということもとても良い娯楽なのかもしれません。

誰かと映画館に一緒に足を運び、一緒の空間で映画を鑑賞し、そのあと映画の余韻に浸りながら感想を言い合う、というのはとても楽しく良いものだなぁと思いました。

誰かと家で映画を観ればいいという話なのかもしれませんが、家で観る以上に「映画」というものに浸ることができる環境の方が楽しい経験ができるような気がしました。

ただこれは個人個人で異なる感想なのかもしれません。

なんにせよぼくとしては、1500円ほどで誰かと楽しい時間を共有できるというのはとても貴重なコンテンツなのかな、と思っております。

 

 

そんなわけでぼくは今映画館に少しだけはまっています。

今後も映画館通いが続くかどうかはわかりませんが、映画館の良さなんていうものは少しずつ分かってきてうれしいなぁと思う次第でございます。