根性論は悪か
「根性論」と言うと何となくマイナスのイメージがありますね。
無理して頑張って気合いさえ、根性さえあれば何とかできる!という論理だと思います。
「そんなの根拠がない」とか、「根性さえあれば成功できた昭和の時代とは違うんだ」とかそのような意見を聞くことは数多く、「根性論は時代遅れの考え方だ」というような方程式が何となく出来上がっているような気がします。
ぼくもそこまで根性論は好きではないです。
根性で何でもできたら苦労しない、とか思ってしまうタイプだと自覚しています。
ただ「根性」という要素は人間にとって一つの重要な要素なのではないか、と考えています。
8月に開催されていたリオ五輪にて日本はシンクロナイズドスイミングで女子デュエット、女子チームの二種目で銅メダルを獲得しました。
シンクロナイズドスイミングでメダルを獲得したのはアテネ五輪以来三大会ぶりだそうです。
なぜ久しぶりにメダルを獲得することができたか、ということについてなのですが、メディアで頻繁に言われていたのが井村雅代コーチが日本ナショナルチームのコーチとして復帰したから、というものです。
完全な素人なので井村コーチがどれほどすごいかということはよくわかっていませんが、かつて日本のコーチを務めていた井村コーチは日本シンクロ界にたくさんのメダルをもたらした後、中国ナショナルチームの監督になり中国にメダルを多くもたらしたらしいです。
中国の監督に就任したのがアテネ五輪の後、つまり日本がリオ五輪より前最後にメダルを獲得したオリンピックの後ということになります。
すごいですね。
あんまりシンクロの歴史について語ってもボロが出るので止めておきましょう。
ここで触れたかったのは「井村コーチは超スパルタ、らしい」ということです。
うわさによると、一日11時間練習を行うらしいです。
新聞で読みました。
練習内容も滅茶苦茶ハードらしく「地獄だった」とメダルを獲得した選手は協議後話していますね。
なんでこんなにつらい練習をするのか。
考えられるものとして「メンタルを強化する」ということが考えられます。
スポーツでよく聞くのが「練習でできないことが本番でできるわけない」といった類の言葉です。
これが真か偽かということはわかりませんが、ぼくの実感としても練習でできたのだから本番でもできるだろうということは数多くあります。
なんでそういうことが起こるのか、ということを考えたとき「練習でできたという成功体験が精神に作用し、体や頭が働くようになる」といういわば当たり前のことしか思いつきませんでした。
メンタルの重要性についても、理由は自分の中でかみ砕いて理解することはできていませんが、日々実感することがあるものです。
つらい練習を行い、精神的に鍛えられることによってうまく作用することが世の中には数多くあるのではないか、ということを要は言いたいわけです。
すごく普通のことを言ってる気がします。
そしてつらい練習、というものは根性論に支えられているのではないか、と個人的には思っています。
つらい練習は大抵理不尽です。
中高と体育会系の部活動に身を置いてきました。
部活動という場でも「つらい練習」というものは数多く経験してきました。
「一人がミスをしたから全員連帯責任で5㎞走れ」といった、個人的には理不尽だと思ったようなつらい練習もあったように記憶しています。
そしてスピードが落ちたら「気合い入れろ!」みたいな the根性論の怒られ方をしたような記憶もあります。
つらい練習に根性論を持ち込む人は少なくないのでは、という気がします。
そんな経験をしてきたぼくですが、自信を持って言えるわけではなくても、他人より我慢強かったり、他人より結果を出すことができるという自負があります。
ブログはあんまり上手じゃない気がしますが。
ぼくが経験してきたと思っている根性論はもしかすると、ほかの方から見たら甘えた根性論かもしれません。
ですが、個人の経験からすると決して根性論は絶対悪だとも思えないのです。
現在社会では「ゆとり世代は甘えてる、我慢強くない」だとか散々に言われています。
ぼくもその世代なので、他人ごとではないんですけどね。
そんな散々に言われるようになったゆとり世代以降の人たちが、「根性論は古い」ということで一切根性論に触れなかったら、どうなるだろうなとか想像してしまいます。
想像に過ぎないので何とも言えませんが。
ただ、一切合切なくしてしまうのもどうなのかしら、とか思う22歳です。