「むかーしむかしあるところに」について
昔話といえば「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」という文章から始まることが多いと思います。
定番の文章ですね。
でも「むかしむかしっていつだよ」って思いません?
ぼくは小学生の時からひねくれた少年だったので思っていました。
そのような疑問を最近再び思い出したので、Googleさんに聞いてみました。
が、よくわからなかったので「昔々とはいつか」ということについて書いてみます。
先ほどGoogleさんに聞いてもよくわからなかった、と書きましたがこれは「昔々とはいつのことを指すか定まっていない」ということが多く述べられていたためです。
そもそも「昔々はこの時代を指す」という定義が決まっていないということですね。
言われてみればそうですね。
今日「昔々」と言うのと、江戸時代に「昔々」というのでは意味合いが違いますものね。
と、いうわけで「昔々」がいつを指すか、という問題の解決はできなくなってしまいました。
しかし、日本の昔話の多くはいつ頃作られたか、ということが明らかになっています。
例えば中学校で習う「竹取物語」は平安時代にできたといわれています。
中学校で教わりました。
そのため、竹取物語は平安時代より「昔々」の話、という推測を行うことはできます。
そのような具合でほかの昔話の作られた時代を明らかにし、そこから「昔々」の話であるということまでは明らかにできると言えるでしょう。
と、思ったのですが子供のころによく読んだり聞いたり見たりする昔話は、現代に生きる誰かが書いたり編集したり放送したりしているものです。
今の子供が絵本で読む昔話は小○館の人が編集したりレイアウトを考えたり、挿絵を入れたりしたものである、ということです。
その「現代の人によって作られた昔話」は果たして「昔から伝えられてきた昔話」と同一のものである、と言えるでしょうか。
個人的には違うものだと思っています。
子供のころ、だいぶあいまいですが、アニメの日本昔話を鑑賞し「ずいぶん古臭いなぁ」と感じた記憶があります
昔話に対して「古臭い」という感想を持つということがなんだか奇妙ですが、このような感想を持つということが昔話も「作られる」時代によって変わってしまう、ということを示しているように思えてなりません。
もし時代ごとに昔話の感じ方が違っていれば「昔々」という言葉も指し示す時代が変わってしまうのではないでしょうか。
なんだかまとまらない文章になってしまいましたが「昔々」という言葉は各々が好きに解釈すればいいんじゃないかな、ということを言いたかっただけでございます。
ちなみにぼくは大抵の「昔々」と言われると江戸時代中期の春の岐阜あたりを想像します。
おわり